2017年06月15日

恐ろしくて物が言えない事に慣れていませんか?

共謀罪が強行採決されてしまいました。
戦争法案同様、反対意見は聞かない、民主主義的手続きは踏みにじる、法体系の美しさなどの全く度外視。至るところにあるテレビカメラで監視をされて、メールや電話も全て筒抜けが昨日までの日本でしたが、ここに、目配せやいいねでも罪に問われる法律が完成したのです。
ジョージ・オーエルの1984年の世界が今日からの日本です。
と言っても、昨日までの世界が自由に物が言える世界であったかというと、私たちは今までも長い時間をかけて「恐ろしくて物が言えないこと」に慣れてきているように思います。

 つい先日も、山手線の車両に監視カメラがつけられましたが、それを自分たちが監視されているのではなく、痴漢や犯罪から守ってくれるいう評価もあると聞き、驚きました。痴漢や犯罪にあった時、監視カメラで見ている向こう側の人が直ちに助けに来てくる保証も約束もどこにもありません。痴漢や犯罪から身を守るのは、声を上げる自分自身であり、声を上げる自分自身を隣でサポートしてくる近隣に所在する人たちです。もし仮に、監視カメラの向こうで見ていてくる人が、痴漢や犯罪に気がついてやって来てくれたとしても、来てくれた時にはすでに被害は起きているのです。被害を防ぐのは自分自身であり、思いやりを持って、他人を助けようとする隣の人であることを忘れているのではないでしょうか。また、監視カメラがあれば、犯罪や痴漢を未然に防げるんだよという声もあるかもしれません。けれど、毅然とした態度と、人の目が注意をすれば、カメラなどよりもよほと威力があるはずなんです。
 監視カメラを、「守ってくれるもの」と勘違いしてしまうのは、「物を言えない」「声を上げれない」「毅然とした態度が取れない」自分自身だからであり、そして何よりも隣に立っている人、隣に座ってくれる人が声を上げる自分を助けてくれないという、絶望感に似た人間不信がある気がします。

 この隣の人よりも監視カメラの方が助けてくれるという感覚は、働く現場で日々起きています。有給休暇が取れない、残業代が払われない、という簡単な労働基準法違反でも、会社に要求したらどんな報復されるかわからないと、要求できずに悶々として退職後に残業代請求をする労働者がいます。本当はこんな会社、ブラックだな、おかしいな、と思っても、自分が声を上げるなんて恐ろしいし、黙っていても誰かが言ってくれるかもしれない、場合によっては労働基準監督署が査察に入ってくるかもしれないしと思い続けるうちに、ブラックな労働条件に慣れてしまい、うちの会社もまんざら悪くないって思うようになることもよくあります。でも、労働者が声を上げない言い訳をいっぱいするうちに、労働者の話を聞かない、自分だけが正しいと思い込むブラック企業の社長を育ててしまうんです。ブラック企業のワンマン社長の元で苦労するのは労働者。だけれど、ブラック企業のワンマン社長を育ててしまうのも、物を言わない労働者。

 この日本は、民主主義を破壊し、子供っぽい振る舞いも、わがままな振る舞いも恥ずかしいと思わない独裁政権を育ててしまった。でも、私たちは今、物を言わない事に慣れてしまっているだけのこと。
まだ闘えるし、社長や政権を変えることができる力を持っています。
身近な仲間や、お隣の人が、会社や上司や痴漢から嫌なことをされている時、あなたではない他の人を守るために動くことができれば、それは変えていく第一歩です。
posted by REI at 16:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記