2018年08月29日

介護も一人で背負わないでくださいね

先日、ある分会の臨時大会を開催しました。女性の多い職場で、皆さん介護が大変と訴えます。ある程度年齢を重ねてくると、親も高齢化します。子育てをしながら働き続けられる職場と、介護をしながら働き続けられる職場づくりは、労働組合の大切な課題です。
 今は小康状態ですが、私自身ちょっと大変で、でも振り返ると愛しい介護の時期がつい最近ありました。
 私が仕事と介護を両立できたのは、組合という仕事の中で理解してもらえたり、融通を効かせることが出来たからです。そして、両立できたから、振り返ると「楽しかったかも」とすら思えるのですが、これが仕事を退職せざるを得ないとか、職場で針の筵になったりしたら、介護は辛く恨めしいものになるかもしれません。
 当たり前のことですが、職場の人たちの協力と、誰から辛くならないための職場環境づくりのための経営者との交渉が、当たり前の人の営みである介護を普通に行うためには欠かせません。本当に当たり前のことなんですが、「余裕」があってこそ、人に優しくなれるのが人間です。その「余裕」を組合がどのように作り出すことが出来るのか、正念場です。

私の実家の事情はこんな感じでした。
 父大正12年生まれ95歳。母昭和4年生まれ89歳。10年ほど前、父が階段から落ちて首の骨を折り、母も静脈瘤手術を繰り返す、最初の介護がありました。この時に母は障害者手帳を持つようになりました。その後はなだらかにボチボチ老いていくのだろうと思っていました。
病気は突然。
 今年2018年の1月のお正月も、年取ってきたなあって感じで過ごしました。ところが、1月17日に事務所で作業をしていると父から電話で「お母さんが救急車で入院した」と言います。姉に確認すると母は「もう死んだ方いい」と言って、苦しんでいるということ。ちょっと事態が理解できずにぼーっとしました。が、一緒に作業をしていたMちゃんから「すぐに帰って!」と言われ他ので、病院に駆けつけることが出来ました。
 様々なチューブに繋がれた母は肺水腫のために浮腫がひどく、集中治療室です。面会時間19時に間に合うように、連日仕事を速攻で終えて、猛ダッシュで横浜の病院へ!でも、通わなければ後で後悔するのが本当に怖かったです。
夕飯食べに実家に帰ろう。
 ふと気がつくと、元気のはずの父親の様子がおかしい。尋ねると「お母さんが入院してから一人でご飯食べている。会話が無い。」と言います。
 父がボケないために、姉が夕飯を作り、父と私が一緒に食べる(姉は一緒には食べない)事に。気がつくと姉も一緒に食卓を囲むようになり、何十年かぶりの家族の会話が復活していました。
いきなり失語症。
 肺水腫で入院した母の容態はどんどんと回復に向かい、2月中旬には退院できるということにまでなりました。素晴らしい生命力!なのですが、母の声が言葉にならない。あー、うー、という音にしかならない。看護師さんに言うと「もともとそう言う(つまりボケている)人なんじゃないですか」と言う。いえいえ、もともとよく喋る人で、新聞も本も読んでたし、ちょっと天然で薄らボケはあるかもしれないけど、完全にはボケてないです。姉も一緒に主治医の先生に訴え、やっと「検査しましょう」と言うことになりました。検査の結果は、「脳梗塞を発症し、失語症になった」というものでした。何も言わなかったら、「もともとボケている人」「もともと話せない人」扱いになって、脳梗塞を起こしているのに検査も治療もしてもらえなかったんだろうとしか思えません。
家族がしっかり伝えることも介護のうち
 結局母は、入院中に2回脳梗塞を起こし、一旦よくなりかけた失語症が悪化を繰り返しました。ただ、失語症は、言葉が出ないだけで他は正常です。トイレに歩いて行くことも出来るし、周りを気遣うことも出来る。内臓は丈夫です。歯も丈夫です。でも、危ないからと言う理由で、病院では一人でトイレに行かせてもらえない。食事はなぜか、全て形のない裏ごしをしたものばかり。こんな食事ばかりしてたら体が弱ちゃうんじゃないの?と言うのが私たち姉妹の感想で、姉は再三に渡り、普通食に変えて欲しいとナースステーションに訴え、ようやく改善されました。
 その後3月末に言語療法士の先生のいるリハビリ施設に移ると、どんどん言葉が出るようになって来ました。リハビリの成果、素晴らしいです。6月3日には無事に自宅に戻りました。
介護はきっと最後の、もう一度家族をすることかもしれない
 激動の半年間でしたが、いろんな事が使用前使用後のように形を変えました。
 母は食事づくりをしなくなりました。母は家事から解放され、姉と喧嘩しなくなりました。
 そして母はケアプランを立ててもらい、デイサービスに通うようになり、「お友達ができたの」と言っています。リハビリ施設入所中の向かいのベットの人とは、文通友達になったようです。
 父も母と一緒にサービスを利用するために介護認定を受けたところ、要支援1で元気なことがわかりました。
 今回の介護まで、両親と一緒に食事をする事がなかった姉が、食事の準備をして一緒に食卓につくようになりました。
一人で悩まず、相談してくださいね
 少しずつ、形を変えて、私たちは年老いて行くけれど、その時々、その時間は全て愛しい大切な時間です。また何かあったら、バタバタするかもしれませんが、私たちはendマークに向かいながら今を生きて、今の問題に対処し続けてくものだから、組合も介護も、私はきっと出来るから、安心してくださいね。
 そして、組合の人たちにも、後悔しないで介護も仕事も組合もしてもらいたいから、個人的な事、などにしないで、「余裕」が無くなりそうになったら、いつでも相談にきてもらいたいと、心から思います。
posted by 朝倉れい子 at 21:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記