先週、母が亡くなり、今日やっと葬儀を終えました。90歳の大往生です。昨年末に心筋梗塞で入院していた病院を退院し、母が望んだ「自宅でのお別れ」を実現してあげることができました。病院も嫌、延命治療も嫌、自力でトイレに行きたい、という多分、彼女の尊厳に関わる希望の実現でした。
亡くなってみると、お医者さん、ケアマネさん、お坊さんからも「自宅で逝けて良かったですね」「最近はなかなか難しいですね」と言われました。考えると、私たちが自然に逝くこと自体が「難しい」世の中になっていたのですね。
たまたま、母は亡くなる2日前に意識が無くなるまで、自力でトイレに行き、寝たきりにならなくて済んだので、自宅で逝けたのかもしれません。そしてこれは「ラッキー」な事でした。様々な制約の中で、自分が望むように生きること、自分が望むように逝くことについて、とても考えさせられた3ヶ月間でした。
終末医療と、そして、葬儀。体が思うように動かせなくなってから、死んだ後も。お金の問題がずっとつきまとってきます。
30年数年前に祖母達が亡くなった時は、在宅で逝き、自宅で親族や近隣の力を借りて葬儀をしていました。お布施の金額で戒名は変わりましたが、逝くこと、区切りをつける事、葬る事はお金に換算できない共助で支えられていました。ただ30数年前は、家族での介護の負担は女性に求められ、葬儀となれば女性は割烹着持参で集まらなければならないなどの女性に大きな負担が負わされていた時代でもありました。
さらに、なんと、父が働いていた会社では、定年退職をしてからすでに36年が経っても代表者名の「お花」「弔電」「香典」が贈られるシステムです。96歳になる父の働いていた時代は、日本的経営の真っ最中です。全員正社員の時代です。だからこその、この、家族的な対応です。30数年前の、日本的経営と、女性が家を支えることで成り立っていた日本。
そして、今は、大きな貧富の差と、お金が無ければ安心して死ぬこともできない日本。
この今の状態を30年後に「過度期だった」「そんな時代もあった」と思えるように、誰もが望む逝き方ができ、お別れができるようにしなければ、30年前をただ否定することも、懐かしむことも出来ないと、かなり切実に思っています。