2020年03月23日

生きること、逝くこと、別れること。「お金が無ければ何も出来ない」この不自由な社会。

先週、母が亡くなり、今日やっと葬儀を終えました。90歳の大往生です。昨年末に心筋梗塞で入院していた病院を退院し、母が望んだ「自宅でのお別れ」を実現してあげることができました。病院も嫌、延命治療も嫌、自力でトイレに行きたい、という多分、彼女の尊厳に関わる希望の実現でした。
 亡くなってみると、お医者さん、ケアマネさん、お坊さんからも「自宅で逝けて良かったですね」「最近はなかなか難しいですね」と言われました。考えると、私たちが自然に逝くこと自体が「難しい」世の中になっていたのですね。
たまたま、母は亡くなる2日前に意識が無くなるまで、自力でトイレに行き、寝たきりにならなくて済んだので、自宅で逝けたのかもしれません。そしてこれは「ラッキー」な事でした。様々な制約の中で、自分が望むように生きること、自分が望むように逝くことについて、とても考えさせられた3ヶ月間でした。
 終末医療と、そして、葬儀。体が思うように動かせなくなってから、死んだ後も。お金の問題がずっとつきまとってきます。
 30年数年前に祖母達が亡くなった時は、在宅で逝き、自宅で親族や近隣の力を借りて葬儀をしていました。お布施の金額で戒名は変わりましたが、逝くこと、区切りをつける事、葬る事はお金に換算できない共助で支えられていました。ただ30数年前は、家族での介護の負担は女性に求められ、葬儀となれば女性は割烹着持参で集まらなければならないなどの女性に大きな負担が負わされていた時代でもありました。
 さらに、なんと、父が働いていた会社では、定年退職をしてからすでに36年が経っても代表者名の「お花」「弔電」「香典」が贈られるシステムです。96歳になる父の働いていた時代は、日本的経営の真っ最中です。全員正社員の時代です。だからこその、この、家族的な対応です。30数年前の、日本的経営と、女性が家を支えることで成り立っていた日本。
 そして、今は、大きな貧富の差と、お金が無ければ安心して死ぬこともできない日本。
 この今の状態を30年後に「過度期だった」「そんな時代もあった」と思えるように、誰もが望む逝き方ができ、お別れができるようにしなければ、30年前をただ否定することも、懐かしむことも出来ないと、かなり切実に思っています。
posted by 朝倉れい子 at 21:06| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記
この記事へのコメント
確かにそのとおりだとは思います。我が家にも93才の義母がいます。在宅を望んでいますが歩行が困難で老々介護です。義父は三年前自宅で昼寝しながら逝きました。往診にきてもらいましたが、でなければ警察が入るようです。私の伯母も検死がありました。95才朝方亡くなっていた。自宅での見守りは私は自信がありません
Posted by 川畑保子 at 2020年03月24日 22:07
お母さまのご冥福をお祈りいたします。一段落すると疲れがどっと出てきます。多忙な中でもどうかご自愛ください。私は一昨年亡くなった父を失った悲しみを引きずりながらも、親族間のトラブル勃発後に怒涛のように問題が押し寄せて、自分の体もこわし、母娘ふたりの老老介護の暮らしです。母は膝の手術で入院中に要介護2と認定されて、退院後には週1回はリハビリ、週2回はデイケアに通い始めました。私はその間に自分が通院したり、用事をこなしています。週3回参加することで母は社会とつながりができて、すこし明るくなりました。要介護度が2より軽くなれば週3回は通えなくなるかもしれず、良くなってくれる事で母の生活がまた単調なものに戻るのではと懸念しています。少しでも介護認定を軽くしようとする行政だから素直に快方に向かう事を喜べません。消費税が3%から始まり、ついに10%になっても福祉に反映されている実感に乏しいです。私たちの税金が私たちの福祉の為に使われる国になるように、今よりもっと多くの人が意識を変えていってほしいです。国民にマスク2枚を配布なんて、竹やりでB29と戦うようだとたとえられましたね。一流国との自負があるならば高額所得者以外は現金給付や休業補償をするべきです。冬にイギリスのケンローチの映画「家族を思うとき」(現題は確かSorry I missed you.だったような。)を観ました。主人公の夫はデリバリーの仕事をする為に妻の車を売ったお金とローンでバンを買い、職場ではボスに指揮命令されている労働者なのに、自営業扱いの契約。超過密な配達スケジュールで、トイレに行けない夫はペットボトルにおしっこをして必死に配達を続ける。妻は車がなくなり、バスで訪問介護のスケジュールを必死でこなす。独居老人の食事の世話から下のそそうまで、ひとりでする介護の仕事の過酷さ。そして親子の行き違いも。やがて主人公は同業者のいやがらせの暴行を受けてケガをするが、家族の静止を振り切ってバンを運転して出かけて行く。かつてはゆりかごから墓場までと言われた国の映画とは。ひどい労働条件ですが、イギリスはまだNHS(国民皆保険制度)がありますから最低限の医療は無料で受けられますけど、国民保険の整備されていないアメリカはどれだけの新型ウイルスの犠牲者をだすのでしょうか?恐ろしいです。不幸な出来事から多くの人が世の中を良くすることに向かって行ってほしいです。
Posted by Toshiko Naoe at 2020年04月03日 00:52
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